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広島藩大坂蔵屋敷図


概要

慶応2丙寅年8月出来 大阪御役所当用方預

この図の本五分一町邸は、表口が48間、裏幅で46間半、奥行は東で82間、西で87間あって、総坪数は約3992坪あった。
蔵屋敷内に米蔵が9棟、鉄蔵が3棟あり、浅野家は鉄山も所有していたから産鉄は米と同じく入札売りであった。広島藩も国の名物である厳島社を勧請し、船入に朱の鳥居を建てたが、一般には知られることはなかった。船入橋のほとりに「蛸の松」と呼ばれる名木があり、世人に知られていた。この松は慶長年間に福嶋正則が安芸の国に帰る時、伏見より携え自邸の傍に移植した若松2株のうち、1株を浅野家が育てたが枯れてしまった。今となっては『摂津名所図会大成』に挿絵があるし、文化板の「増修改正摂州大阪地図」にも広島蔵の船入橋の西手に蛸の松が描かれている。
なお、この地は長らく大阪大学医学部が使用していたが、現在はさら地になっている。将来は「大阪市立近代美術館(仮称)」が建築される予定である。
参考文献「広島蔵と鴻池」佐古慶三
法量 縦215.2cm、横124.5cm